私自身も30代になって、やはり「感謝は大事だな」と思うようになりました。
というのも、結局、誰かや何かに感謝することによって、人や物を大事にすることに繋がったり、許しに繋がって、巡り巡って自分に返ってくるからです。
例えば、電車で席を譲ってもらって助かった→ありがとう→次は自分も誰かを助けたい→誰かが困ってるのを手助けする→感謝される→自己肯定感が上がり、また誰かを手助けしようと思う→助けてもらえるし自分からも積極的に手助けするループになる、みたいな感じです。
感謝と罪悪感の違い
ところが、「感謝する」と似て非なる状態があります。
それが「申し訳ない」という罪悪感を由来とした「償いの行動」です。
このふたつは、すごく似ていて混同されがちな概念なので勘違いしている人も多いと思いますが、着地点が全く異なります。
■「感謝する」…手助けを受け取る。受け止める、受け入れる。差し伸べられた手を拒否しない状態。受け取った恩を後に別の形で返す。恩は忘れず、永続的に自分に関わる人に感謝し続けようと思う。別の状況でも躊躇なく他人を手助けすることができる。恩は与えるだけで返してもらおうとは思わない。そこに損得勘定はない。
■「罪悪感を償う」…申し訳なさから手助けを心から受け入れることができない。早く物理的に恩を返したいと思ってしまう。早く恩を忘れたい、恩を受け取っていない状態になりたい。恩を受け取ることが重荷と感じる。相手に罪悪感を押し付けることになるので、むやみに誰かを手助けしようとはしない。手助けした場合、恩を返してほしいと思ってしまう。損得勘定で考えてしまう。
手助けとか恩は、物理的なものではない場合がありますし、数字に換算することができないものでもあって、なかなか「1もらったから1返すね」ということが難しいものでもあります。
「感謝する」と「罪悪感を償う」が似ているようで真逆の思考である、ということが味噌です。もちろん、罪悪感を償う思考が悪いというわけではありませんが、手助けされて重荷になる、ということを繰り返していると、苦しくなるのは自分ですよね。
「申し訳ない」と思うなかれ
この「申し訳ない」「私なんかが手助けしてもらう価値のある人間ではない」みたいな自己肯定感の低さは、なかなか改善されません。
「自己肯定感を持ってください」
と言われても「はい、わかりました」と実行できる人はなかなかいません。
しかし、この「罪悪感を償う」タイプの人は、どれだけ口で「感謝します」「感謝しなくちゃね」などと言っていても、実質きちんと感謝はできていない可能性が高いです。
感謝とは、しっかり手助けを受け取って、しかも返す必要がない、重荷と思わない安心感の中で、じわっと浮かび上がって水面にポワンと出てきた泡のようなものです。
あらゆる状況や状態がミックスして、奇跡のように出現した、このキラキラしたきれいな泡は、自分だけでなく、周囲の人をも幸せにします。
「申し訳ない」と思うことなく、ただ手渡されたものを受け取って、じんわりと「ありがたい」と微笑み、キラキラした泡を感じた方が、誰にとっても良い結果をもたらします。
感謝に至るコツ
では、どのようにすれば、本来の「感謝する」に到達できるのでしょうか。
まず前提として、覚えておいてほしいことがあります。
手助けは受け取るだけで、返す必要はありません。
万人、誰もが手助けを受ける権利があります。もちろん、あなたにも。
感謝(報酬)を強要する人には感謝する必要はありません。
手助けしてくれた人には、感謝を言葉で表現します。それだけでいいです。
余裕のある人が手助けをします。
自分も余裕があるときに誰かを手助けします。
「誰かに何かをしてもらうこと」は確かに、相手に手間や時間、もしくは物質的な損失を与えてしまうことかもしれません。しかし、手助けをしてくれる人は、余裕がある人です。余裕がない人は手助けをしませんし、もし手助けをしても報酬を求めてくるでしょう。報酬を求めてくる人には、もう感謝する必要はありませんので、事務的にその場を丸く収めることだけ考えましょう。
手助けしてくれる人は完全に善意で、ボランティアで行っています。その人は恐らく、感謝されてもされなくても、どっちでもいいはずです。なぜなら、余裕があるので気にならないのです。
つまり、そこに対して「申し訳ない」とか「受け取れない」と思う必要は全くありません。相手は余裕がある、善意の人だからです。むしろ、あなたには、この善意をただそのままに受け取ってほしい、と考えています。なので、あなたは、ただその善意を受け取って、感謝の言葉を表現するだけでいいのです。
自分がどんな人間であっても、自己肯定感が高くても低くても、
「手助けを受け取ることも、ある種の善意である」
ということです。
感謝は荷物にはならない
私たちは「物品とお金を交換する=買い物」という人間社会のルールを守って生きています。そのため、物質の価値、時間の価値、行動の価値、お金の価値などを、大変に重く理解しています。もちろん、それらにはそれ相応の価値があり、その価値を理解して生きていくことは重要です。
しかし、一番忘れてはならないのが、自分の価値です。
そして、自分を大切にすることです。
私たちに手助けしてくれた人たちは、まずは自分を大切にして、余裕があるから手助けしてくれています。それは「私は私を大切に扱う、あなたが困っているようだから、あなたのことも大切に扱いたい」ということではないでしょうか。
これは単に手助けだけでなく「人権の尊重」です。
私たちは彼らから善意を受け取ることによって、彼らの人権も尊重しているので、フェアな関係です。そのため、この感謝は荷物にはなりません。
感謝しているから対価を支払わなくてはならない、などと思う必要はありません。その善意を受け取るだけで、すでに対価を支払ったと同じことなのです。
まずは、受け取ってみよう
これを読んでいる方は、きっと必要以上にあらゆるものを抱え込んでいるのかもしれません。そうでなければ日常に息苦しさを感じたり、思い悩んだりすることはないでしょう。
もし、善意で手を差し伸べてくれた人の善意が、あなたを苦しめてしまったとしたら?きっとその善意の人も悲しいかもしれません。
受け取るものすべてが、剣山のようにトゲトゲでおおわれているように感じるかもしれません。ただし、時には「これは善意だから受け取っていいんだ!受け取れば相手の人も喜んでくれるんだ!」と割り切って、受け取ってみましょう。
例えば、たい焼きを焼くときに出たカリカリの耳(きれっぱし?)の処分に困っている人がいて「もらってくれない?もらってくれると助かるな」なんて言われたら「じゃあ、いただきます!ありがとうございます!」てな感じで持ち帰って、美味しくいただいてもいいわけです。そして後日、そのたい焼き屋さんに行って、家族の分までたい焼きを多めに買って「また来ますね!」とニコニコすればいいのです。そこに罪悪感は必要ありません。
誰かに大切にされている自分、自分のために自分を大切にできなくても、誰かのためになら自分を大切にすることができるのではないでしょうか。
ソニアのゴーストラジオでは、今後も気になるテーマについてコラム形式で記事を執筆していきます。また、タロット占い鑑定についても、今後徐々に準備していこうと思っています。
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